「悔いはない」という言葉の重み

プレゼンスでコーチをする前、2004年末まで、
スポーツニッポン新聞社(スポニチ)というところで、野球担当の記者をしていました。
新聞社に勤務する正社員として、
「24時間、365日、仕事だ!」と言われながら、ガチでやっていました。
この時の苦労話を取り上げたら本当にキリがないのですが、、、
今回は、少しでも良い話を!と思い、
今も、折にふれて思い出すエピソードを書こうと思います。
ちょっと長いので、野球に興味がない方には、、、、、すみません。
 
いま、埼玉西武ライオンズで投手をやっている、
涌井秀章選手の話です。
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(写真は、涌井選手の公式サイトからお借りしました)
最多勝も、沢村賞も受賞したことのある、埼玉西武のエースです。
今季はイマイチ調子が上がらなかったようですが、
終盤の大事な時になって、救援という形で結果を残せているようで、
嬉しい限りです。
(メジャーに行ったダルビッシュ選手、青木選手など、当時担当した選手の活躍は、今もやはり嬉しいものです)。
 
さて、その涌井投手。
私は、彼が横浜高校の時代に3年弱、担当しました。
3年生の夏、最後の甲子園。
横浜高校は、この年に優勝した駒大苫小牧高校と準々決勝で対戦しました。
この時の涌井投手は、ダルビッシュ投手と合わせて「大会屈指の超高校級」と大評判で、
準々決勝まで、その前評判に違わぬピッチングを見せてくれました。
ですが準々決勝で、
駒大苫小牧に、めった打ちに合うんです。
たしか、7回を投げて、6失点。
涌井投手の実力からは考えられないほど、この日は打ち込まれました。
高校野球の宿命ですが、地方予選からの連戦の疲れがピークに達していたんだと思います。
 
私は記者時代、選手の表情から感情を読み取り、それを記事にすることが、
個人的に好きでした。
なのでこの日も、降板してベンチに下がった涌井投手の表情を、
双眼鏡なども使って何度も見ました。
笑っているんですよねー、ベンチの中で。
なんというか、清々しい表情をしているんです。
敗戦した後も、高校球児にお決まりの「土を持ち帰る」ことも当然せず、
本当に清々しい表情で、私たちの取材に応じてくれました。
通常、敗戦チームの取材をするときは、選手に涙はつきものなんです。
特に「最後の夏」が終わったわけですから、
大泣きする選手も珍しくありません。
ですが、涌井選手は試合後、一筋の涙もなく、
淡々と、こう語りました。
 
「どこに投げても打たれる感じでした。自分の球が通用しなかった。
でも、これまで厳しい練習をやってきた結果なので、悔いはありません
 
ハッとしましたねー、この言葉。
確かに、全国的に超名門の横浜高校の練習は、本当に厳しいんです。
その中でも、エースの練習量は、ものすごい。
そして横浜高校を名門に育て上げた指導者たちが、
「ガマン強さは、これまでの投手の中で涌井が一番」と話すぐらいですから、
ものすごい練習量を彼が重ねてきたことは事実だと思います。
大会前に、個人的に涌井選手に話を聞いた時、
「何度も練習から逃げ出したいと思った」と言っていたのも印象的です。
 
逃げ出さずに、耐え抜いて、積み上げてきた練習量に、
涌井選手はまったく悔いがなかったんだと思います。
「やれることは、すべてやった」と確信があったんだと思います。
やれることはすべてやった結果、打たれたのであれば、
それはもう、相手を称えるしかない。
悔しさも、後悔も、何もない。
そんな境地だったのではないでしょうか。
あの日以来、
私は「悔いはありません」という言葉を、容易に使えなくなりました。
「やれることは、すべてやった」と、自分自身が確信を持つこと。
この尊さを、当時18歳の高校生に教えられました。
 
プロ野球のポストシーズンを前に、
最近、埼玉西武のニュースをよく見かけるので、
こんなネタを書いてみました!!
 
ヤマダ