学習コラムColumn
【 Let's Rock !!! 】 最近、限界を迎えたか?
- 2013.9.15
【rock】
名詞:1. 岩, 岩石, 岩盤, 岩壁 2. ロック(ミューッジック)
動詞:1. 揺り動かす, 揺する. 2. ロックンロールを踊る
【Let’s Rock】
慣用表現: 「ノリノリでいこうぜ」の意
最近何かで限界を感じたことはあるだろうか?
もうこれ以上はキツイなと、本気で思うまで挑戦し続けたことはあるだろうか?
日々、皆様から「おとなしそう」「真面目そう」「手が長そう」等、
色々な私の印象をお伝えいただくことがありますが・・・・・
ですが私の本質は、かなりのロック派、もちろん洋楽しか聞かない。
【The Beatles】や【The Who】【T-Rex】などの古典から、
【Foo Fighters】などの現代パンクロックまで、幅広く愛している。
普段の生活でもロックの精神であらゆる状況に「ノリノリ」であるとか、「smile」であるとかを模索し、
逆境に立ち向かう中でも”楽しむこと”を忘れない。これらがロックの精神かどうかは不明だが・・・。
人生は短い。常にワクワクして、楽しんで生きなきゃ損だ。
ポジティブもネガティブも自分の思考の選択次第でどうにでも転がる、と考えている。
本題に戻りますが、
最近、自分の限界を超える挑戦をしたか?
年を重ねるごとに人は保守的になる。なぜなら失敗を懸念し挑戦することを避けるからだ。
もう少し正確に言うと、リスクがギリギリのラインまで下がるのを待ち、勝つことを確信しない限り危険な橋は渡らない。
危機回避をすることが知識をつけた理由でもあるし、これが大人の考え(リスクヘッジ)と世の中一般で銘打つものだ。
ここを否定するつもりは一切ない。
ただ一方で、人間の「能力」と呼ばれる形もないそれを鍛えるには、やはり幾度も限界を超える必要がある、と私は信じている。
超えねばならぬ壁を前にして、ああだこうだとあたかも有体な道理を引っ張り出して、人は臆病になる。
これは先に述べたリスクヘッジでもクレバーな考えでもない。ただの逃避である。
これら2つの状況を混同してはいけない。
何を伝えたいかというと、
限界を感じられたとき。むしろそれは感謝するべきことだ。
そこから「もう1歩」死ぬ気で繰り出すことが、無限の自分の可能性への挑戦だ。
その1歩こそが自分を成長に導く最高のアプローチである。
ただ、そこへ辿り着く為にはそれ相応の努力が必要で、大抵の人は道半ば、80%で止まってしまう。守りに入ってしまう。
なぜか?そこまでして結果が出なかったときのことを考えて臆病になっている。
若しくは結果への執着心が欠けている。これらは結果以前の敗北だ。
そして「若い頃はできた」とか「その発想が若いよね」と言って自分を慰め、また”安定”から抜け出そうとしない。
自分が設定している限界なんてものに特に意味はない。限界は感じるものだ。自分で設定するものではない。
子供の頃に、よく分からなかったが、学校帰りに夢中で家までの道のりを全力疾走したことを覚えていないだろうか?
夢中で虫取りをしたり、ブランコを思いっきり青空に向かって漕いだ事、意味も分からず夢中になった経験はいくらでもあるはず。
あなたはいつから自分が夢中になることに、崇高な理由を求め、努力せずに即席の成果物を求めるようになったのか?
目の前のことに夢中になることに理由なんていらない。
結果が保証されなくとも、それでも尚やる。やってみればわかる、結果は必ずついてくる、本気なら。
私の場合、夢中でギターを掻き鳴らした中学時代の自分が今でも教えてくれる。
お前ビビッてないか?本気で楽しいと思えることやってるか?つまらない世界なら自分で面白く塗り替えろ、人のせいにするな!
古来、ロックは世の中への反抗(アナーキズム)としての意味合いも強かった。
時代に迎合しないその音楽性は、当時まだ南部で黒人差別が一般的であったアメリカで生まれた、黒人と白人の音楽が融合した結晶である。
その過激な音楽性は、産声を上げた当時の音楽の限界をぶち壊したのではないだろうか。
自分が思っている以上に自分は強い。
今でもできる、久しぶりに限界を感じるまで真剣に何かをやってみないか?
そこから絶対に何か見えてくるものがある、学ぶことがある。
自分で限界なんか設定するなよ、小さくまとまるな、そんなのロックじゃない。
まだまだいけるぞ、限界を感じるまでひたすら走るんだ!
「できるか、できないのかの選択をしているときは迷い続ける。やるのかやらないのかである。決めれば能力は生まれる。」石川 洋