受講生インタビュー

 

第18回 小峯 優輝さん

「アメリカで生まれたにも関わらず英語が話せない」そんなコンプレックスを解消することに加え、アメリカへの学内派遣交換留学を目標に英語勉強を決意。伸び悩んだ時期を乗り越え、1年半でTOEIC300点台からTOEFL91点(TOEIC900点以上に相当すると言われる)まで引き上げた小峯さん。苦労しながらも最後まで諦めなかった背景は何か。大学生活との両立や留学先での生活も含めてお話を伺いました。

小峯 優輝さん Yuki Komine

慶應義塾大学経済学部卒。2016年9月からUniversity of California, San Diegoに学内派遣交換留学し20176⽉に帰国。

【受講コース】

TOEIC600点コース750点コースTOEFL70点コース90点コース

(肩書き・役職等はインタビュー当時のものです)

最後はプレゼンスで詰めてから出願したい

――

本題に入る前に、小峰さんのお話をお伺いしたいと思います。最初はTOEICの点数もそんなに高得点を持っていたわけじゃないですよね。

小峯:

留学をしたいと思いプレゼンスの説明会に来ました。TOEFLの勉強をしたいと思っていたのですが、当時はTOEIC約300点だったので、コーチに相談して、まずはTOEICの勉強から始めることにしました。(※)

※プレゼンスTOEFL70点コースはTOEIC650点以上の方が対象のため

――

それでTOEIC600点コースを受講された?その時に結構上がりました?

小峯:

クラスの中で一番になりたいと思って勉強し、2か月のコースを受講後に、685点まで上げることができました。そのあと750点コースを受講したのですが、750点コースは600点コースとは様子が違いました。周りにいる人も出来る人が多かったり、真剣にやっている方が多かった印象です。そこでも頑張ったんですが、なぜか点数が下がってしまいました。

――

何もかもが順調だったわけではないんですね。

小峯:

はい、せっかく頑張ったのに、点数が下がったので、結構メンタルにきたんですけど、そのあとにコーチから「もうTOEFLコースに行こう」と言われ、TOEFLコースに行く決意をして、TOEFL70点コースにお世話になりました。コース修了直後は48点と、思ったような結果は出ず、その後6か月ぐらい全然だめで、当時はサポートしてもらってる人に申し訳ない気持ちいっぱいでした。当時は親も諦めてる感じでしたが、僕は出来るだけ早く留学に行きたかったので、一年間で一気に頑張ろうと思い、他のスクールにも行って戦略なども習い、8か月で70点台に乗せました。ここまできて、最後はプレゼンスで詰めてから出願したいという気持ちで、プレゼンスのTOEFL90点コースを受講しました。

――

「最後はプレゼンスで詰めてから出願したい」と思ったのはなぜですか?

小峯:

最初に勉強を教わったのがプレゼンスだったからです。

中学から慶應に入り、高校までずっと野球をやっていたので、6年ぐらい全く勉強していなかったので、勉強のやり方も完全に忘れたんですが、同じように勉強方法で悩んでた兄が「まずプレゼンスに行ってみろ」と言ってくれました。兄も知人からの紹介でプレゼンスに来て、勉強の方法を叩き込まれたらしいです。それで実際に来てみたら、こんなガラス張りのビルに塾があるのかと驚き、最初は場所を間違えたと思ったくらいです(笑)。そんな、最初に勉強方法を教えてくれたプレゼンスで最後もしめたかったんです。そして、TOEFL90点コース終了後は最終的に91点までいきました。

――

順調にぐいぐい上がっていっただけじゃなかったのですね。

小峯:

そうですね、僕はそんなに地頭が良いわけじゃないので時間がかかりました。交換留学に行った友達には「100点なんか一年でいけるよ」って言われて、真に受けてたんですが、最初の1年では全く伸びず、もがいてもがいて、最終的に91点まで行ったという感じです。その分達成感も大きかったです。

「ただアメリカに行きたい」っていう気持ちがめちゃくちゃ強かった

――

そもそもですが、なぜ留学を志したのですか?

小峯:

僕は「アメリカに行きたい」っていう気持ちがめちゃくちゃ強かったんです。

実は0~3歳までアメリカに住んでて、兄を含めて家族は英語を話せて、たまに家に外国人も来るんですが、僕だけが英語を話せかったんです。こういう状況が長い間続いて、このままで良いのかなと思っていました。そして、最終的に「アメリカで生まれたからには英語を話せないといけない」と思って勉強しました。

留学した理由はたくさんありますが、「これを学びたいというよりは、やはり「アメリカに⾏きたい」というのが強かったです。その中でもトップレベルまたは名前の通った大学に挑戦したいと考えていました。もっというと、家族ぐるみで付き合いのあったアメリカ人たちが、どんな生活をしているのかを、この目で見てみたいというのもありました。

――

どちらに留学されたんですか?

小峯:

カリフォルニア大学のサンディエゴ校というところです。

――

最初からそこが良いと思っていたのですか?

小峯:

そうですね。大学にある留学の冊子を見ていたら、一番きれいな大学がそこだったんです。あと、兄がカリフォルニア大学のサンタクルーズ校に行っていたので、どうせ行くなら兄とは違う場所がいいなというのもあり、リゾート地であるサンディエゴ校に決めました。もっというと、人種の多様性は重要視したポイントです。メキシコのすぐ上なので、色んな人がいるから、ここが良い、そう思いました。

――

中学高校と野球をやっていたんですよね。大学に入ったときに野球をやめたのは、ケガが理由ですか?

小峯:

そうですね。甲子園出場経験があり、甲子園を本気で目指している学校だったんですけど、最後の夏の大会前に肘の靭帯が切れて5日間入院したんです。そのときに、今まで通り大学で野球をしたいのか、それ以外のことに挑戦したいのか真剣に考えて、英語に挑戦してみたいと思うようになってました。

そのあと卒業旅行で友達と3人でハワイに行ったんですけど、そこで「何も出来ないぞ俺たち」って感じたんです。友達2人は英検2級を持っていたので、当時の僕からしたら、こいつら絶対話せるって思ってたんですけど、誰も話せないんです。

ツアーに参加したいと思っても、電話一つで苦労するし、全然楽しめない。ローカルな場所にも行けなくて、「英語話せたらもっと楽しめるはず」って思いました。

で、その後に家族で兄の留学先であるサンタクルーズに行ったら、兄が住んでいた寮には世界中の留学生とアメリカ人の生徒が住んでいて、もうすごく楽しそうでした。各国の同世代の人たちと関わることってないと思うんですよ。その環境にすごく惹かれて、帰った翌日から「勉強だ!」って本気になったのを覚えています。

社会人の2倍やらなきゃと思っていた

――

プレゼンスの宿題と学校の勉強との両立はどうでしたか?

小峯:

そんなに苦はなかったですね。ただ、学内派遣交換留学には高いGPAが要求されるのでそれだけは常に意識していました。

大学始まる前からプレゼンスに来ていたので、勉強の習慣もついていました。朝9時から学校に行き、だいたい16時くらいに帰ってきて英語の勉強をするっていう感じで、1日6~7時間は勉強しました。

1週間で言うと40時間以上ですね。社会人の方は25時間と言われていたので、学生である自分は2倍はやらなきゃと思っていました。

――

朝もやってました?

小峯:

僕あまり朝型じゃなかったので、まず8時に起きて9時に学校につき、9時〜16時を学校で過ごし、17時に帰ってきてちょっと昼寝をして、ご飯を食べて2時間ぐらい休み、夜の7時から夜中の2時ぐらいまで勉強していました。

時間がない社会人の方は少しずつやるしかないと思うんですけど、僕は時間があるので、まとまった時間で畳みかけるように勉強しようとしていました。スケジュールも前倒しでどんどん進めていました。

――

前倒しでやるってすごい大事ですよね。後半が楽になりますものね。もともと英語が好きだったのでしょうか?

小峯:

大っ嫌いでした。母親曰く、「俺は英語がない世界で生きていく。だから英語なんていらない」と言っていたそうです。高校では英語に三段階クラスがある中、初級にいました。学年で下位10%とか5%に入っていて、常に赤点レベルでした。

――

今は好きですか?

小峯:

今は好きというよりも当たり前という感覚ですね。好き嫌いの問題ではなくて、絶対必要という感じです。

そもそも英語が嫌いだったのも、家族が自分以外全員英語話せるっていう劣等感からでした。表向きは嫌いだけど、実際話せるようになりたかった。でも野球に集中するっていう逃げ道を作ったり、俺は日本人だって言い聞かせて完全に逃げてました。

――

吹っ切れたのはお兄さんが各国の友人と話をしているのを見たからですか?

小峯:

一番大きかったのは、高校生の時に自分たちだけでハワイ行ったという冒険です。そこで一番ヤバイと思いました。そのうえで兄の留学先を見て、英語を本気で学ぼうと決心しました。

本当にユニークなことがたくさんありました

――

留学先ではどんな生活をしていたんですか?

小峯:

実は向こうでも野球をやっていたんです。交換留学が決まってからリハビリとトレーニングを続けて、準備をしてました。

勉強は試験前を中心に頑張りましたが、結構野球に時間を使っていましたね。週4で野球の練習があって、土日は絶対試合が入っていて、先発投手として結構即戦力として使ってもらいました。

自分がチームのランクを左右していると思い、朝はランニング、夜はジムに行って練習をするという生活を半年くらい。

唯一のアジア人だったので、チームに入ってから信頼されるまでは日本にいる時より時間がかかりました。英語もそんなに話せないし、「これはマズイ、やはり結果を出して信頼を得なきゃ」と思って、最初の2ヶ月は必死でした。ようやく試合で勝ち続けて、信頼を得て、チームメイトと遊びに行けるようになりました。野球にも英語にも自信を持てるようになったのは後半の半年ですね。

――

野球ができたっていうのはコミュニティに入る武器ですよね。留学先ではどんな勉強をされていたのですか?

小峯:

主に経済学を取っていました。あとは、UCSanDiegoだからこそ取れるTheatre and Dance Departmentの授業です。いわゆる俳優とか輩出する場所ですね。ハリウッドを目指している人が来る場所で、全米で2位って言われているんです。それを野球のチームメイトから聞いて、行ってみたら凄く授業が面白かったんです。人の前でプレゼンをするとか、グループで3分間踊ったりと、黒人歌手のラップを聴きに行くのが宿題だったりとか、本当にユニークなことがたくさんありました。あとはVisual Arts(写真学)。とにかく幅広いことに挑戦してみました。

日本の良さを世界市場で、価値を最大化させるような仕事が将来的にはできたら

――

1年間の経験を踏まえて、今後のビジョンってありますか?

小峯:

向こうで一番感じたのって、「日本より日本車が走っている」っていうことだったんです。これはすごいなぁと感じました。やっぱり日本のテクノロジーはとんでもなく高いんだと。将来的には、日本の良さや価値を世界市場で最大化させるような仕事ができたら良いなと考えています。

世界で戦えるテクノロジーを持っているのは日本の武器なので、それをもっと活性化させられるような人間になりたいなと思っています。

実行して習慣化させて結果まで出せるという唯一の環境

――

話の流れは変わりますが、プレゼンスのおすすめポイントってありますか?

小峯:

一番目はやっぱり超効率的勉強法。やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ。ここは学ぶだけではなくて、実行して習慣化させて結果まで出せるという唯一の環境だと思います。それをサポートしてくれるのがプレゼンスの良いところ。

もう一つは、やはりコーチのパッションですね。情熱が違う。最初はびっくりしました。本当に勉強するところなのかなって。

――

どういうポイントでびっくりしましたか?

小峯:

すべてでした。一番感じたのは、コーチのプレゼン力です。他の塾とかいくと分かるんですけど、意外と遠慮がちに話す先生が多い。

プレゼンスでは思ったことをバシっと言ってくださるので、「あぁ、じゃあそうしよう!」と単純に心を動かされる。それが一番違うところかな。

あとは学生からの視点でプレゼンスが良いと思うのは、社会人が多いという環境でした。学生が多いとやっぱり馴れ合いになっちゃうんですよね。ここに来たら色々な業界の方が時間がない中で頑張っている。僕がここで頑張らないわけにはいかない。そしてコーチもそういう雰囲気を出してくるんです。「小峯君学生だよね?まだ頑張れるでしょ」って。

――

確かによく言います(笑)

小峯:

社会⼈は⼤変ってイメージはあったんですけど、ここに来るとそれを実感しました。例えば、⽇曜のクラスに「会議があったんです」って遅刻される⽅がいたんです。最初は「絶対嘘、寝坊でしょ」って思っていたんですけど、本当に会議だったようで、社会人の忙しさを肌で感じました。クラスの途中で「すみません、会議があります」って抜けていかれる⽅もいらっしゃいました。そんな中、学⽣ってすごい時間があるなって思いました。僕はこの刺激を受けられる環境が好きでしたね。

TOEIC約300点からはじめて、1年間頑張り続けました

――

では最後、これからTOEFLを考えている方へアドバイスをお願いします。

小峯:

根性が一番大切かなと思います。例え、なんとなくTOEFLが取れてすでに英語が話せても、良い留学になるとは限りません。長期間の英語勉強を乗り越えるということは、留学に行きたい執念がある証拠です。本田圭佑は「準備が一番大事です」と言っています。本当にその通りで、準備が出来ていない人は本番も出来ない。プレゼンスに準備をしに来ている受講生の方々は、絶対出来ると思って取り組んでいます。そこで脱落するようだったらここには来ていないはず。本物の根性があれば、何とでもなると思います!

そして伸び悩んでいる人に伝えたいこともあります。

それは、英語学習は金の採掘のようなものだということ。あとひと堀りで金を得られるところまでいっても、最後のひと堀りをせずに諦めてしまう。そんな人が多いように感じます。

いつ結果が出るか分からないけど、僕は1年間頑張り続けました。1年間頑張ってきたのにここでやめてたまるかって。明日結果が出るかもしれないし、出ないかもしれないけど、あきらめた時点で結果は出なくなる。もう1年やったら絶対結果が出てくるだろうという考えでやっていました。最後のひと掘りを、やめないでください。

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そうか。それで粘れたんですね。ありがとうございます!凄く響くと思います。